前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
古老の伝に曰く、当社八幡大神勧請創立は、年月日不詳と雖も、往古地主高村治兵衛尉曽て尊崇するところであって、或年雄物川当柳田村上部宅地欠け込みとなり、村人相談の折、兎角人力では防ぐべき様もないとして、尊神歎願し奉った霊験により、難なく急流も西南に引き去ったのである。
これより当所鎮護産土神と尊称し奉ったという。 それ以来村人避け難い事故がある時は、起誓歎願し尊霊の応護を蒙ること少なからず。 その後天明年中古城跡へ社を遷し今に及んでいるのである。 明治6年9月村社と定められる。 明治43年9月4日字堀田無格社稲荷神社、字田中塞神社、字堀廻同菅原神社を合併、43年9月12日字八呂無格社稲荷神社、字堀廻同神明社、字八呂同日吉神社を合併す。 |
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