前へ | 神明社 しんめいしゃ |
神明社の創建は不詳である。
最初に建立した場所と現在の位置とは全く異ったものと思われる。 それは元禄3年頃の穀丁、相染方面の恐ろしい砂飛びのため、砂埋れになって社殿が失われてしまったが、「花立元屋敷」の内にあったことは間違いなかろうと思われる。 「該神社は、元禄三年中、砂埋に相成り、仍て安永五年、相染新田に遷座すと言う。」 −羽陰温故誌より− 当社は、花立村の住民が久保田に移らなかったころ、すなわち秋田城之介時代の住民が、(或は秋田城之介の家臣によって)創建されたということに間違いはないだろうと思われる。 |
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