前へ | 八幡秋田神社 はちまんあきたじんじゃ |
<相殿> | 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) |
猿田彦命(さるたひこのみこと) | |
大宮売命(おおみやのめのみこと) | |
武甕槌命(たけみかつちのみこと) |
元の秋田国主中祖佐竹義昌朝臣常陸国に居住中、山城国石清水八幡宮を太田城内に勧請し、同宮社殿下の砂石を以て神実とす。
又、同義人朝臣永享3年相模国鶴ヶ岡八幡宮を勧請し『今現存せる尊影は即ち之なりと伝う』 又山城国稲荷神社及び常陸国鹿島神社の大神を勧請奉斎したのを慶長7年9月同義宣朝臣秋田遷封の際、当地に移転し、累代秋田城内に三社を建立して奉祀崇敬す。 明治5年右各社を合祀して八幡神社と称す。 明治11年秋田城跡より秋田市東根小屋町(現中通2丁目)に移転、之より先11月10月23日旧秋田藩内臣民協同醵金して同境内に秋田神社を創建し、佐竹義宣朝臣を祀る。 その後、義尭公、義和公を祀る。 明治32年5月現在地に移転し、同40年12月前記八幡神社と合併して八幡秋田神社と改称した。 平成17年1月、放火に遭い社殿を焼失し、現在、再建をすすめている。 |
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