前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
建立は鎌倉時代建治年中で、善正寺開基の斎藤織部が、氏神として祀ったのが始まりと伝承されている。
当時は神田明神と呼ばれていた。しかし二度の火災のため、大切なものはみな焼失してしまう。 そこで安永4年、当時の佐竹藩から派遣された小野崎伊織が、鳥海山の土を氏子達に運ばせ、守護を祈願して本殿の下に箱入れして埋めたという。 明治43年には、それまで方々に祀っていた、七つのお堂を合併して祭典を行なうようになった。 ?哩八王寺若宮八幡宮というのが正式な吊前と言われる。 神社の右手には樹齢四百年以上になる、柏、楢の木が今も堂々そびえ立ち、左手には合併記念碑も建立されている。 |
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