前へ | 日吉神社 ひよしじんじゃ 通称:新屋の山王さん |
古伝によれば、大同元年勝平山麓に鎮座したといわれる。(由利維平奉納の朱仏丸という鏡に大同元年創立の裏書があったと伝へられる。)
その後、天長7年の大地震の為、川の流れが大きく変わり、新屋南方およそ五町の地、字田中屋敷に移転。 更に永治元年(1141年)現在の地に遷座したという。 古くより坂本(近江国坂本)の日吉大社の別社とも称し、代々領主の尊崇篤く、世々社殿の新改築に多額な社領の寄進を受けている。 平安末期この地方を所領していた橘公業と、後、源頼朝に従った由利維平が、当社を篤く敬い、七千刈の社領寄進を受けたという。 橘氏に代わってこの地を所領した、赤尾津氏からも同様の扱いを受けたが、後、最上氏によって一時社領を没収される。 しかし小野筑後守金助の陳情によって最上氏より社領二千刈、続いて本多上野介よりも二千刈、また佐竹氏からも崇敬を受ける。 明治に入り、明治5年郷社、次いで12年県社に列せられる。 明治28年火災によって本、拝殿を焼失した。 大正6年、本殿を新築、昭和15年幣殿を改築した。 |
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