前へ | 保量神社 ほりょうじんじゃ |
昭和2年、久保田(現秋田市)の人川村新吉が、末戸松本地内の開墾達成を機に神社を建立し、昔のこの字地が保量といわれていたことから保量神社と名づけた。
開墾した折青石が出土し、その下から田に水を引くための泉が湧出たところからこの石を御神体として祀ったといわれている。 なお、祭神の保量大権現は漁業や開拓の神として崇敬された。 明治13年、同19年に社殿の修理を行い、明治40年8月、同42年10月に、末社の神明社を合併している。 また、末戸松本開拓の功労者川村新吉神霊を合祀している。 |
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