前へ | 神供山神社 みくやまじんじゃ |
昔は仏供山正観音として遠近より崇敬され、鰐口や扁額旗等の奉納品からみて足利時代からの参詣者も相当多かったことが伺われる。
羽陰温故誌に『和田村より半里東、高四百七石三斗八升九合、免六ツ一分成、八幡神社(現神社)久保田岡本家より社領有り菩薩院(岩本社家先代)山伏除地云々』。 また郡邑記にも『八幡神社観音久保田岡本家より社領云々』とある。 明治41年6月11日中道村社八幡神社、上中島白山神社、上諸井福神社、大部稲荷神社同石動神社を合併し神供山神社と改称して村社となった。 大正3年7月7日神饌幣帛料供進神社に指定された。 |
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