前へ | 強首神社 こわくびじんじゃ |
当社は、古くから観音様と呼んでいた。
古伝承によれば、祭神は鹿嶋大名神十一面観音で、当地方城主白岩善左衛門の氏神であったが、養和、寿永の年間から村民が産土神として尊崇し、生活の支えとして護り伝えたとある。 元雄物川向いの逆巻にあったが、寛永年中に崩壊したため現在地に移し、天明5年8月再築し、明治3年3月強首神社と改称した。 明治23年6月4日隣地長養寺の火災によって類焼。 同26年12月再築。 同41年11月熊ノ木熊野神社、下袋神明社合併。 同年村社に列せられる。 同44年8月乙越八幡神社合併。 大正2年7月金山沢八幡神社合併。 同年9月境内176坪拡張。 同4年拝殿改築。 同6年神饌幣帛料供進神社に指定される。 昭和50年社殿の全面改築を完工し、更に同55年神輿殿を増築現在に至る。 六郡祭時記には『七月十七日観音祭、仙北郡強首の里に在り、宵祭に神輿村中をわたる。獅子頭、練りもの、総氏子名燈篭にて供奉す』とあり、昔の祭事が偲ばれる。 現在でも梵天が奉納され境内には余興の舞台が建てられて、近隣町村から打集いその賑やかさは異色である。 |
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