前へ | 日枝神社 ひえじんじゃ |
斎藤正三家文書に次のようにある。 「当村斎藤東右衛門先祖桓武天皇末系高望四男重綱十九歳にて延喜元年辛酉八月中、常陸国より罷下り、赤沢村を切り開き、常陸兵武尉と名のり、産土日枝神社を勧請し、神徳著しきこと諸人の知る処となった。その後仁安元年丙戌十月中、四代重綱より所以あって斎藤治部左衛門と改め、先祖より本年までおよそ九百二十年、同家連綿と続き、右開基の由緒により、明治五年壬申八月、御改正の調べを以って赤沢村、井内村、槻木村、岡井内村、船橋村五か村の氏神となり、明治六年村社となる。」 大正4年4月22日午後6時ごろ、拝殿より出火し社殿全焼、同5年11月に再建した。 また、境内・参道には樹齢数百年とみられる老杉が立ち並んでいる。 |
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