前へ | 天照皇御祖神社 あまてらすすめみおやじんじゃ |
社記によれば谷内観音堂と呼ばれ明治初年廃仏棄釈の令によって天照皇御祖神社と社名が変更された。
以来神明社と尊称されて現在に及んでいる。 永禄10年の兵火によって焼失したがこれを機会に天正2年に社地を約150m下方の現在地に移転し、万治2年再建、天明5年再建(現在拝殿、幣殿)し現在の社殿になっている。 その間明治43年無格社八幡神社、駒形神社、出羽神社、滝沢神社、八坂神社、明治45年熊野神社を合併し、明治6年村社指定社となった。 境内の石造物の磨崖仏、板碑(県無形文化財指定)等あるが、その年号により700年を経ているものと推定される。 |
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