前へ | 神明社 しんめいしゃ |
坊沢の草創は不詳であるが、今から約490年前の明応年代に、成田家の祖、義慧が大和の国より修験者として東北の山野を遍歴し、主従ともどもこの地に住みついたのが始まりといわれている。
その村の起りとほぼ同じ頃より、当神明社は伊勢大神宮遥拝処として、村人たちの心のよりどころとなっていた。 ある時、伊勢よりの御神輿のお通りがこの地にさしかかった際、御神の御幣持ちの方が突然悶絶して倒れると共にその御神輿も大盤石の如く重くなり、容易に動かすことができなくなってしまった。 思案の末山上の祠に御幣を納め祈願すると、不思議にもその人は忽然として蘇生し、神輿ももとのように軽くなったといわれる。 宝永8年、社殿新築のための境内地拡張普請の際、土中より金の御神鏡と鰐口が発掘。 神鏡には御神像が浮彫りされており、鰐口に『奉十二所権現御宝前 応永二十三年』と銘があった。 この出土により村人の崇敬の念は一段と深まり、近郷近在からも参詣の人々が列をなしたと伝えられる。 その後、鰐口は文化4年、藩主義和公に献上したといわれるが、御神鏡は今なお、当神社の御神体として安置されている。 |
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