前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
河辺町豊嶋城に居た畠山重村が森吉町本城に居城を移し、その没後、主従関係にある嘉成右馬頭の謀計奇襲にて畠山民部忠久が12代目で落城。
長男は修験となり、脇神山八幡寺なる祈願寺を創立し、初代大行院尊忠と称した。 創立の年月は未だ調査不十分なるも前宮司畠山家の系図より推量して、戦国時代末期である。 神仏分離により八幡神社となり、明治6年8月村社に列し、同43年5月脇神中10社を合併。 昭和41年、本殿幣殿拝殿をヒバ材にて新築し、同60年福嶋石の階段自動車道を整備し、同61年屋根を銅板としたが、すべて氏子崇敬者の協賛金である。 |
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