前へ | 神明社 しんめいしゃ 通称:高野の御堂 |
天文年間の頃、領主本堂源七が、人足を以って、真昼三社の参道普請の折、別当屋敷(現宮司家)の前坂道が特に難儀し、この坂道を大坂と申し始めてより地名の起りと言う。
慶安5年の再建の棟札が現存、寛文10年3月7日、元本堂村より分村の黒印を賜わり、大坂新田村と名のる。 その時当社の御神体(大日如来立像)を再刻し安置する。 古文書によれば、横手城代戸村十太夫家中、高屋五兵衛と申す地頭が、大日如来を田地の水掛り守護神として石御堂に安置し、別当を田野沢助左衛門に仰せ付けるとあるは、この頃の事と思われる。 更に嘉永7年4月16日、木造萱葺御堂を建立すと伝える。 明治4年4月7日、別当の助左衛門に願って鎮守として改築する。 地租条令発布にて、明治9年再び元本堂村と合併し浪花村となり、熊野神社は村社、当社は雑社の扱いとなる。 明治23年4月6日、本殿と拝殿に分けた現在の社殿の建立となる。 昭和16年村社に昇格す。 平成元年9月8日、社殿再建の百年を記念して、戦没者を碑に刻み、正神楽式を以て記念祭を斎行。 |
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