前へ | 海津見神社 かいつみじんじゃ |
年代詳かでないが、中古播磨明石郡の垂水より、宝円寺境内に勧請して、龍宮殿と称した。
文化元年、象潟の大震後、海岸波打際は谷地と変り、文政年中に領主に願って、今の浜の町を住居とする許可を受け、産土神として、文政8年8月、宝円寺境内地より、現今の地に勧請し、海津見神社と称え、その氏子となった。 天保4年10月の津波の際、浜の町家78軒も流れる被害を受けたが、龍宮殿は些かも異常は無かったのである。 今の花崗岩の鳥居は、宝円寺境内にあったものを、明治戊辰の際、観音堂秋葉神社等が焼失した時、茲に移したものである。 尚この鳥居は、亀田藩士八島小膳同志賀吉太夫の寄進によるものである。 修験宝円寺は、復飾して山崎伊倭造と改め、神社の社掌となった。 現今の社殿は、明治41年1月3日の火災後の再建であり、最近更に増改築を行っている。 |
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