前へ | 神明社 しんめいしゃ |
和銅5年出羽分置四郡八庄を置かれた時に創立せられ、当時の祭祀の金幣は今尚尊崇保存されている。
和銅以前、既に火蔵が建立されていたので、稲倉の本宮とも称え奉られていた。 寛文年間、神守別当がいない為一時衰微したが、尾州浪人太田能寿法師という者が、小砂川に居住していたのを、集落の長が乞い願って、横山に移住し、神明社の祭祀を司るようになり、その後代々奉仕してきている。 古社霊域が著しいので、明和丁亥年7月、領主生駒能登守藤原朝臣俊矩公の崇敬社となり、御年米1俵、銭300文宛供進せられた。 大正3年7月27日付を以て、知事の認可を得、神饌幣帛料供進の指定村社となる。 昭和41年神社改築、地区民の崇敬は益々篤く、祭礼もまた盛大である。 |
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