前へ | 熊野神社 くまのじんじゃ |
当神社の沿革には焼失の歴史もあることから不明な点が多いが、古老らの口伝えでは、その昔現在の能代南中学校近くにあったといわれる。
その後、今から170年ほど前に現在地に移転したらしいということが、御神体を安置する台座に記された文字から推測されている。 浅野家に伝わる家系図によると、寛文3年仁井田村真山神主浅野掃部の二男が修験僧となり河戸川に引き移り、村社熊野神社、無格社相染神社、同じく磯前神社に奉仕したことを伝えている。 当神社の隆盛は菅江真澄(江戸時代)の紀行文の中で紹介されている。 当時当神社の別当観嶺山大塚寺尊英(6代目)と真澄は懇意の間柄で、しばしば彼はここで旅装を解いている。 この神仏混淆時代の河戸川地区には開墾の苦労話が多い。 その開墾に尽力したことで知られるのが大塚甚十郎清好。 氏は天明の大飢饉の際に自分の土蔵を開いて村民の窮乏を救ったのである。 境内にはこの頌徳を称えた座像がある。 また、これと対座する形で元県会議長大塚政市郎の胸像がある。 氏は昭和40年神社改築の折資材などを寄付し篤い信仰を寄せた。 |
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