前へ | 中生保内神社 なかおぼないじんじゃ 通称:中生保内の地蔵さん |
当社は大山祇神社と愛宕神社の合併した神社である。
大山祇神社は、往古より山神として、神徳特に篤く、霊験また顕著である。 その一例を挙げると、ある時古老が、神徳があるならば、東南の小高い所に柴を生じ給えと、杉の枝を挿したところ、その杉の木が大木となり十数里遠くからも見えたと言う。 そういうことで、その付近の字を「十里木」と称している。 又愛宕神社は、昔延命地蔵尊と申し、村祖瀧夜叉姫(第50代桓武天皇5代の孫平将門の娘)が、父将門の東国に於て平貞盛下野押領使藤原秀郷に滅ぼされた時、難を逃れて奥羽に来、この地に居住することになる。 その時所持していた守本尊を祀ったもので、神徳誠に篤いものがある。(現在姫塚がある) その一例を挙げると、昔神社の前は深い水田で、毎年若者等は、仕事をするのに難儀をしていたが、ある時一人の童子がやって来て農耕の手伝いを始めた。 それは大人も及ばないほど上手であった。 昼となり田圃から上って来たところ、童子に多数の蛭が吸付き血を吸っている。 悪い虫どもよ、口を焼いてやると言ったところ蛭は皆離れてしまったという。 童子は泥足のまま社殿に入って行ったので見てみると、ご神体に一面泥がついている。 この神、この里を万世まで守り賜うご神徳であると伏し拝んだのである。 現在この地区の蛭は人に吸付かないと言う。 明治44年秋田県知事の許可を受け、山神社、愛宕神社を合併、昭和3年呼称を中生保内神社と改め今日に至る。 |
トップページへ |