前へ | 楢館神社 ならだてじんじゃ |
社記によれば神社は昔、山の上にあって寛治年間に陸奥出羽押領使、藤原清衡の孫、楢館出羽守藤原俊衡がこの地に城を構え、城内に千手観音を安置して守護神として祀ったのが始まりである。
その後小野寺重道の孫、中宮介輝光が遂に仙北の地を統一するが、その旗下の楢館武俊が豊臣秀吉の朝鮮征伐に勲功があり、下秋田郡に転封され、浅井下野守物部敏一が城主となる。 その後城内の祠を今の地に遷したという。 その祠の下を通る者、往々落馬の災難があり、村民は神威を恐れて産土神として祀った。 浅井氏移封後、祠や社地は荒れ、村民相謀り文化4年2月3日社殿改築するも、此の日台風にあい社殿俄かに倒れるが、神意の致す所と村民再築せるも、明治4年12月8日社殿及び什宝焼失す。 翌5年9月新築したのが現在の社殿である。 明治6年3月村社に指定される。 明治43年3月5日稲荷神社外11社を合併す。 大正2年8月6日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 |
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