前へ | 郡山神社 こおりやまじんじゃ |
創建は延暦2年7月、坂上田村麻呂が国家鎮護の為にこの地に社殿を建立したものだという。
鎮座している郡山地区は古くから開けた地で、先史時代の石器等も多数発掘されている。 また"郡"の地名から郡家の所在地であると推測されており、天平宝字3年9月26日条(続日本紀)の"雄勝城"ではないかとの説もある。 江戸時代には藩庁に収める地頭米を各地域より集めて川を下して久保田・土崎湊に運んだが、嶋田、鵜ノ巣地区(現羽後町)とともに郡山も船着場だったという。 その故か、或いは信仰の故か、近くを流れる川を郡山川(西馬音内川支流)というが別名を御膳川というと「郡邑記」という書物の中に書かれている。 郡山神社は古くは磯前神社と称していたが、安永2年巳年6月に再建され、明治43年7月23日に無格社真山神社・同境内の神明社・諏訪神社及び四ツ谷地区の菅原神社を合併し、郡山神社と改称したという。 幕末の秋田が生んだ偉人、佐藤信淵はこの地に生まれたとの説もあり、暖かく真面目な人の多い土地柄に御神徳の高さが偲ばれる。 |
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