前へ | 三輪神社 みわじんじゃ |
神社鎮座地である糠塚は、「続日本紀」に天平宝字3年9月20日条に、雄勝郡北方を割いて平鹿郡を建置するに数ヶ所の駅を置いて交通網を整備したとあるが、その一つ「雄勝駅」の有力候補として注目されている。
同地を含めた近隣地域は先土器文化時代の遺物が出土するなど古くから開け、雄勝文化圏として発展したものだという。 三輪神社は養老2年5月7日、行基により創建されたという。 奥州に栄えた藤原秀衡の祈願所だったというが、古い時代に羽後町三輪地区杉宮に別宮を作り(現国宝三輪神社)当社は元宮として近隣の尊崇を集めたという。 又三輪神社信仰の為、古来鳥獣を食することを禁じたが、おかげで伝染病流行の時でも流行を避けることが出来たという。 又同社に昔4本の杉の大木があったが2本は足田(現羽後町)普請の為、地頭命令で切られたが、後その2人は煩って数年苦痛の後相果てたという。 残る2本は祖父杉、祖母杉と称し、天保年中7月29日大風で倒れた。 その時見事な石が2つ出、また同2本杉より大小の蛇が多くはい出して郷人を驚かしたと古文書の記録にある。 |
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