この地は西に高羽根川あり、東に雄物川又皆瀬川あり、甚だ凶地であって洪水の都度家屋田畑に損害を与えていた。
村の豪農佐藤信義これを憂い、農民に謀り、鎮護神なき故にと、水流の正当地を卜(うらない)し、龍燈山と称し水に対し火の神を安置し、鎮守の神とする。
現在の社殿は正徳4年7月建替し、明治6年村社に列せらる。