前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
「正八幡宮覚書」によれば、創立年代は不詳なるも宇佐八幡宮の御分霊をまつり、もとは朝倉村八幡字長者町、現社地より北方に凡そ160メートルの地点に神殿があったらしいが、天正年中に現社地に遷し安置、正八幡宮と称した。
その昔領主であった小野寺氏は鎮守社として格別に崇敬され、年々神領を寄進されていたが、佐竹氏が秋田に移封された後も同様に神領米五石を寄進されて篤く崇敬された。 境内には小野寺義道より寄進の石灯篭が今に残り、これには「奉納八幡宮、為御祈念、小野寺遠江守藤原義道、文禄四年六月十五日」と刻している。 明治6年村社に列し、明治40年1月神饌幣帛料供進神社に指定された。 当地の守護神として崇敬を集め、安産祈願、産毛、臍の緒を納めて、子供の健康成長を祈願した。 江戸時代の秋田の資料「雪の出羽路」では、当時からこの神社を中心として八幡の地名だったことが記されている。 現在の一の鳥居から向う参道は、以前は鬱蒼とした森の中の一本道で、大森と横手を繋ぐ通路として利用されていた。 八幡神社は大森方面から歩いてきた人々の休憩所の役割も果たしていたようだ。 |
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