前へ | 日吉八幡神社 ひえはちまんじんじゃ 通称:八橋の山王さん |
古伝承によれば、平安時代後期、源義家に滅ぼされた安倍頼時の子、宗任が比叡山で修験者となり、晩年近江の日吉山と岩清水八幡を勧請して、外旭川の笹岡に修験寺日吉山延命寺無量寺院を建立したのに始まると伝えられ、元享2年新城館主が、同地に日吉山八幡宮を造営、応永2年沙弥安宗が、現上新城中学校の地に同社を移し、天正17年桧山の安東実季が、土崎湊の安東道季を滅ぼしたとき、同社を守護神として飯島に遷座、新たに秋田6郡領主となった佐竹義宣も同社を崇敬し、元和元年八柳狐森に遷宮、寛永2年社殿を造営するも、同19年春、雄物川の氾濫で社殿の大半を流失し、やむなく同年中に現在の地を社地と定め、再建し寛文2年遷座したと伝えられる。
現在の社殿は、明和6年、久保田町大火のおり類焼し、その後再興され、拝殿は安永7年に、本殿は寛永9年に建立されたものであり、佐竹氏入国以後、久保田の外町の総鎮守として今日に至る。 |
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