明治6年8月村社に列し、同42年4月郷中の無格社5社、同43年無格社4社を合併す。
佐竹公が初めて秋田藩に赴任した時、旧浅利家の遺臣等が、各地より集まって、此の館跡に立て籠もり、叛旗をひるがえした。
和解して遺臣等は散じたが、その後小森聚落は徹底的に洗われ、旧家の系図や古書類は没収された。それで、神社の歴史が不明である。