前へ | 榮神社 さかえじんじゃ 通称:太子社 |
当社は元法隆山祝融寺太子堂と称し、聖徳太子を本尊として、平安時代の大同年中大将軍坂上田村麻呂公下向の砌り3間四面の御堂を建立されたという。
室町時代の永禄7年小野寺氏の祈願所に加えられ重臣日野備中守の参詣あり、小野寺氏没落後、第二代藩主佐竹義隆公、第八代義敦公、第九代義和公、第十一代義睦公の祈願所に加えられ本田高50石を寄進され、武運長久、国家鎮護の祈祷所として、遠近の別なく武農商家の守護本尊として崇敬されて来た。 文政12年社殿腐朽のため建替修復され、明治元年3月太政官布告を以って神仏分離令のもとに大谷神社に改められ、明治6年村社に列格、明治43年鎮守榮神社と改める。 昭和54年現社殿再建150年を記念し、拝殿の修理改造・本殿・幣殿・神饌所・祭具所の新設増築・手水舎の新設・社務所の増築等の記念事業を竣成し、現在に至る。 |
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