中古社殿荒廃し、神像をも失ったが、慶長年間地頭宇留野源兵衛尉の神託により、人夫を指揮して捜索し、これを八幡沼の泥中より得た。
その処より清水沸出し、沼を清水沼と称し社を清水宮と称した。
明治43年9月15日、これを山神社に合祀。
大正2年10月22日神明社と称する。