新城神社鎮座地は海抜400mの高台にして岩城舘趾にあり先住民の地であって「貞和の頃より安倍貞任の苗裔岩城城主右衛門太夫安信公を始めその後数代の拠りし所」である。
その付近には先住民族の使用せる土器が沢山発見されている。
明治40年11月26日字堰根村社三輪神社、堰場無格社市杵嶋神社、字同無格社神明社、字笠岡無格社神明社、字同無格社鹿嶋神社、字関根無格社神明社を合併し村社岩戸別神社となる。
尚この当時は下新城村笠岡字堰場118番地に鎮座していた。
現在も当時の岩戸別神社のなごりとしての社がある。
明治44年11月1日下向無格社愛宕神社、字美ノヶ沢無格神明社、字同無格社鹿嶋神社、字末沢無格社寒神社、字下向無格社日枝神社、同無格社木宮神社を併したる字下向村社八幡神社、明治44年10月4日字堂田村社琴比羅神社、字同無格社白山神社、字同無格社神明社、明治45年2月1日字右馬之丞無格社水神社、字箱舘無格社神明社、字猿田沢無格社日宮神社、字家ノ前無格社稲荷神社、字囲井地無格社薬師神社、字堀田沢無格社神明社、字沖ノ窪無格社保量神社、字箱舘無格社岩戸別神社、字同無格社三嶽神社、大正元年8月24日字中坪村社菅原神社を合併す。
大正8年9月8日前述の下新城村笠岡字堰場118番地より現下新城岩城字下向172番地へ移転改築し、大正12年4月28日社号を新城神社と称号す。
岩城、笠岡、小友、青崎地区民を氏子とし現在に至る。
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